2030年世界はこう変わる

ブログを更新するのは2年半ぶりになります。しばらくの間、過去と未来を行き来しながら、これまでの世界、これからの世界を考えてみたいと思います。これからの世界を考えるにあたり、米国国家情報会議発行の「2030年世界はこう変わる」を題材にしたいと思い…

エネルギー基本計画(2)原発事故の影響

エネルギー基本計画(第二次改定)の「第3章.目標実現のための取組」では、第2章で掲げた2030年に向けた目標を実現するための各種取り組みが合計10の節にわたって述べられています。 第1節.資源確保・安定供給強化への総合的取組 第2節.自立的かつ環…

エネルギー基本計画 (1)2030年目標

2011年4月4日、経済産業省は、3年ごとに策定しているエネルギー基本計画について、次期計画を1年程度前倒しし、早ければ24年3月末までにも策定することを発表しました。これまでの原子力を軸としていたエネルギー政策を抜本的に見直すことになりそうで…

金を巡る物語

(2006年12月執筆)遅ればせながらフェルディナント・リップス氏著作の『いまなぜ金復活なのか』を読みました。リップス氏は1931年スイスに生まれ、チューリヒ・ロスチャイルド銀行(Rothschild Bank Zurich AG)の設立に参画、マネージング・ディレクターを…

カドゥーリ家とモカッタ家(2)モカッタ家

ネイサン・ロスチャイルドとモカッタ家 ロスチャイルド商会創設者のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1743-1812年)の三男ネイサン・ロスチャイルド(1777-1836年)が1804年に27歳でイギリス・ロスチャイルド商会を創設したとき、ロンドン・シティは数…

カドゥーリ家とモカッタ家(1)カドゥーリ家

百万ドルの夜景を支える香港財閥 アジアのパワーマーケットは、この十数年で急拡大することが見込まれており、IEAの試算によると、2020年のアジアの発電容量は、2000 年時点の約2倍になると予想されています。実際に、中国の発電容量は、この数年、5,000万…

日本の教育史(1)江藤新平

今日は、東京大学の初代学長となった加藤弘之と、加藤とともに日本の教育制度の先鞭をつけた江藤新平について、まとめてみたいと思います。初代学長・加藤弘之 以前に東京大学の起源が大学南校と大学東校にあることをお話しましたが、両校が合流して1877年(…

近代日本と欧米諸国(5)対日投資会議

(2006年10月執筆)「拒否できない日本」の著者である関岡英之氏が、年次改革要望書関連の著作第二段となる「奪われる日本」を今年の八月に出版しました。 奪われる日本 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061498533 第1部 検証「平成の大獄」 −郵政、そ…

近代日本と欧米諸国(4)原子力発電

前回に引き続き、有馬哲夫氏の『原発・正力・CIA』をベースにメディアのお話、特に原発とメディアの関わりについてお話したいと思います。まずは、『原発・正力・CIA』の内容をお伝えするため、同著の一部をご紹介します(以下、特段の断りがない限り同著よ…

近代日本と欧米諸国(3)メディア

今日は、「原子力の父」と称される正力松太郎を中心に、日本初の民間放送会社である日本テレビ開局を巡る当時の状況をまとめながら、メディアが持つ世の中に対するインパクトについて、少し考えてみたいと思います。三つの称号を持つ男「プロ野球の父」の称…

近代日本と欧米諸国(2)東京大学

続いて近代日本の形成に大きな影響を及ぼした東京大学の設立前夜のお話をしたいと思います。多くは、立花隆氏の『天皇と東大』に拠ります。江戸時代後期の教育水準 −寺子屋・藩校東大設立の話に入る前に、当時の日本の教育水準について簡単に振り返ってみた…

近代日本と欧米諸国(1)坂本龍馬

今日から欧米諸国がどのようにして近代日本に影響力を及ぼしてきたのかについて、これまで書いてきたブログをもとにトピック的に紹介したいと思います。まずは、明治維新を牽引した坂本龍馬からです。大部分は、加治将一氏の『あやつられた龍馬』からの引用…

石油の歴史(4)エネルギーセキュリティを追い求めたフランス

フランス石油会社(CFP)の一環操業体制確立 1924年に設立されたフランス石油(CFP)は、トルコ石油を通じて獲得した豊富な石油資源が円滑に国内で流通するよう、国内の石油産業をリストラクチャリングすることも期待されました。 この目的のため、CFPは早速…

石油の歴史(3)国際石油メジャーと闘ったイタリア

今回は、イタリアの石油メジャーであるENIについてまとめてみたいと思います。最初は、ENIつながりでENELを調べたら何か面白いことがあるかなと思って調べ始めたのですが、エンリコ・マッティという人物に出会い、イタリアとロシアの歴史的な関係、国際石油…

石油の歴史(2)ロイヤルダッチ・シェル

今日は、スタンダード・オイルへの対抗馬として登場することになるロイヤルダッチ・シェルについて、まとめてみたいと思います。タイタスビルでドレーク大佐が石油鉱床を掘り当ててから遅れること20年余り、アメリカに次ぐ産油国としてロシアが台頭してきま…

石油の歴史(1)石油業界の誕生とスタンダード・オイル

今日から、石油会社の歴史を少し振返ってみたいと思います。 様々な著作があるので、取り上げるのは気が引けたのですが、やはりスタンダード・オイルから取り上げてみました。石油の「発見」現在につながる石油の歴史は、ペンシルベニア州北部のタイタスビル…

英蘭の金融史(6)サムソン・ギデオン

ここまでイギリス国債について見てきましたが、これで一区切りつけたいと思います。最後に、国債引受会社であるサムソン・ギデオンと、その後のイングランド銀行について簡単に整理してみたいと思います。 サムソン・ギデオン まずは、サムソン・ギデオン(S…

英蘭の金融史(5)南海泡沫事件

今日は、南海泡沫事件について取りまとめていきたいと思います。まずは、『国債の歴史』からの引用を。 期限前に償還することができない国債が存在したことが国債整理の障害となった。イングランド銀行などの特権会社以外が保有している三二年物、九九年もの…

英蘭の金融史(4)18世紀

まずは名誉革命後のイギリス国債の概要を俯瞰した後、「南海泡沫事件」、「サムソン・ギデオン」、「イングランド銀行の権限強化」、の3つについてちょっと触れてみたいと思います。それでは早速、名誉革命後のイギリス国債の概要について、再び『国債の歴…

英蘭の金融史(4)戦費調達

最後に、名誉革命政権のその後とイギリス国債の功罪について少しだけ触れて、終えたいと思います。 まずは、名誉革命政権のその後についてです。『国債の歴史』から再び一部を引用します。 ルイ十四世との九年戦争に伴う重税によって、伝統的ジェントリーが…

英蘭の金融史(3)イングランド銀行

続いて、名誉革命からイングランド銀行設立までについて取りまとめたいと思います。今回、国債について取りまとめようと思ったきっかけは、中央銀行の成り立ちをその裏側から眺めてみたいと思ったからであり、他の中央銀行のモデルケースであるイングランド…

英蘭の金融史(2)国王の私債(Crown Debt)

これから数回に分けて、イギリスの国債誕生を巡る歴史をまとめてみたいと思います。以下、富田氏の「国債の歴史」によるところが大半ですが、話の流れを円滑にするため、いくつか話しを付け足していますので、富田氏の歴史観を知りたい方は、是非、原典にあ…

英蘭の金融史(1)アムステルダム銀行

今回は、イングランド銀行のモデルとなったアムステルダム銀行を生んだネーデルラントを含む中世都市国家の公債について整理してみたいと思います。十字軍以降、中世ヨーロッパは、イタリア都市国家を中心とする地中海貿易と、北部都市国家を中心とする北海…

日本の金融史(12)ニクソン・ショックと石油・ドル本位制

いざなぎ景気は1965年から1970年にかけて57ヶ月続いた戦後最大の景気回復で、テレビや車、クーラーの「3C」が個人消費を牽引していました。5年近く続いた「いざなぎ景気」が終焉したその翌年の終戦記念日に国際通貨制度における事件、つまりニクソン・ショ…

日本の金融史(11)ドッジライン&吉田茂の家系

今回は、ドッジラインまでの戦後の日本について簡単に整理してみました。最後におまけで吉田茂の家系についてちょっと書いています。戦後インフレ 戦後の日本は激しいインフレに襲われました。1935年の卸売物価水準を基準とすると、終戦時には3.5倍、24年に…

日本の金融史(10)第二次大戦中の通貨戦争

前回の「IMF体制」から話しが戻ってしまいますが、太平洋戦争開戦前に中国で繰り広げられていた日本と英米の間での中華民国通貨を巡る面白い話を、谷口智彦「通貨燃ゆ」をベースに、ご紹介したいと思います。1930年代後半、中国は蒋介石率いる国民政府が反共…

日本の金融史(9)IMF体制

今回は、戦後の昭和金融史を整理する前に、IMF体制を簡単に整理してみたいと思います。1944年にアメリカ、ニュー・ハンプシャー州ブレトンウッズで開催された会議では、戦後の国際通貨体制の枠組みの草案として、ホワイト案(米国)とケインズ案(英国)が対…

日本の金融史(8)井上準之助と国際金融資本家

井上準之助と国際金融資本家の関係を、(1)第9代日銀総裁時代、(2)震災内閣蔵総時代、(3)第11代日銀総裁時代、(4)浜口・若槻内閣蔵総時代の4つの時代に区分して整理したいと思います。これはそれぞれ(1)大正バブルの崩壊(1919〜20年)、(2…

日本の金融史(7)金融恐慌・昭和恐慌

昭和に入ってから恐慌が続きます。まず昭和2年(1927年)に金融恐慌を迎え、昭和5年(1930年)の金解禁を背景に昭和恐慌(昭和5・6年,1930-31年)が起き、昭和7年(1932年)に再び金兌換が停止されるに至ります。 昭和初期の急速な軍国主義の勢力拡大の背…

日本の金融史(6)1920年代の欧米金融機関と日本政府

1920年代の欧米金融機関と日本政府の関わりについて簡単にまとめてみました。まずは、日本と米国の関係を対中国政策を軸に説明します。1900〜20年代の米国対中政策の概要 1899〜1913年は、共和党大統領が三人続きます。1899年のヘイ・ノートによる中国に対す…