地球最後の日のための種子(3)

“地球最後の日のための貯蔵庫”の概要を簡単に説明しましょう。正式名称は、スヴァールバル世界種子貯蔵庫(The Svalbard Global Seed Vault)であり、2008年の2月26日に開所式が行われました。この種子貯蔵庫は、ノルディック遺伝資源センター(通称ノルドゲン(NordGen))が管理しており、このノルドゲンは、北欧閣僚理事会により設立された機関です。

Seed Portal of the Svalbard Global Seed Vault-
http://nordgen.org/sgsv/

同著における“地球最後の日のための貯蔵庫”の記述を少し引用します。

  • 晩年、スコウマンはCIMMYTを離れて、「ノルディック・ジーンバンク」(現在はノルディック遺伝資源センター(ノルドゲン)と呼ばれる)の所長を数年務めた。「ノルゲドン」は現在、永久凍土層に覆われたノルウェースヴァールバル諸島にある「世界種子貯蔵庫」(通称“地球最後の日のための貯蔵庫”)を管理している。ここは何百万種にもおよぶ重要な作物の種子が貯蔵され、万日壊滅的な出来事が生じたときに、(中略)生き残った人類がその資源を使って、ふたたび農業を始められるようにするためだ。(P19)
  • 目に見える入口は一か所しかない。この入口から貯蔵庫の最奥部までの長さは146メートル。その内部には一本の長い廊下があり、これが山の深部に位置する三つの冷凍室につながっている。永久凍土層に密封された各冷凍室の寸法は、縦・約27メートル、横・約10メートル、高さ・約6メートル。エアロック機構の装甲ドアを四つ通らなければ入室できない。(P193)

この貯蔵庫の所有・運営は、下記のようになっています。ノルウェー政府とゲイツ財団が同貯蔵庫を運営していることがわかります。

  • 貯蔵庫の所有: ノルウェー政府(建設費900万ドルを拠出)
  • 運営費のスポンサー: ノルウェー政府とグローバル作物多様性トラスト(ゲイツ財団)が折半
  • 種子の輸送費: ビル&メリンダ・ゲイツ財団
  • 保管対象・方法の決定: グローバル作物多様性トラスト(ゲイツ財団)
  • 日々の運営業務: ノルディック遺伝資源センター
  • 鍵の保管(3か所): ノルディック遺伝資源センター、ロングイヤービエン市の市長室、ノルウェー建造物管理局

このノルウェー政府とゲイツ財団が中心となって構築した“地球最後の日のための貯蔵庫”には、米国植物遺伝資源システムが保管する50万の受け入れ標本のほぼすべてのバックアップが今後10〜15年のうちに保管されることになるようです。

こうして世界中の遺伝資源がこの“地球最後の日のための貯蔵庫”に集まるメカニズムが緩やかに構築されました。ビル&メリンダ・ゲイツ財団がある地域で遺伝資源の収集に拠出金を出した場合、そこで収集された遺伝資源は、結果としてビル&メリンダ・ゲイツ財団が実質的に運営する“地球最後の日のための貯蔵庫”に巡り巡って収納されるのです。

最後に、2010年8月15日までに同貯蔵庫に寄付をした上位5団体を紹介しましょう。

  1. Bill & Melinda Gates Foundation (18%)
  2. 英国(13%)
  3. 米国(10%)
  4. オーストラリア(9%)
  5. スウェーデン(8%)

このほかに、David Sainsburyが1967年に設立したGatsby Charitable基金を初め、Lillian Goldman Charitable Trust、Rockefeller Foundation、Syngenta Foundation、Gordon & Betty Moore Foundation、The Gordon J. Hammersley、Sam Spiegel Foundationなど多くの基金が寄付を拠出しています。Syngentaは、Dupontと同じく100万ドルの寄付金を拠出しています。

奇しくも先日、COP10生物多様性条約第10回締約国会議)が名古屋で開催されました。

一時期頓挫しかけた“地球最後の日のための貯蔵庫”計画が息を吹き返したのは、911のテロであり、地球温暖化に対する世の中の関心が急速に広まったためでした。世界で起きている様々な出来事は、それぞれが大河に流れ込み、大きな一つの流れを作り出しているような気がします。

  • ところが、1980年代を通して継続的に行われた調査では、各国は生半可な指示しか表明していないことが明らかになった。世界中の遺伝資源保持に携わる者750人に贈られたある調査に回答を寄せたのは、たった119人だけだった。しかも、その半分が、関心がないとはっきりと表明していた。(中略)発展途上国は明らかに、北側諸国の意図を疑っていて、そのような国の一つにある機関に自らの遺伝資源をゆだねようとはしなかった。(P189)
  • だが1990年代に入り、“地球最後の日のための貯蔵庫”計画の進行を行き詰らせていた要因が、ひとつずつ変化し始めた。(P189)
  • 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターで3,000人以上の命を奪った事件は、世界中の人々にテロリズムの恐怖を意識させることになった。(中略)退陣を控えたアメリカ合衆国保健福祉長官のトミー・トンプソンが2004年12月に次のようにコメントしたとき、人々の不安はさらにあおられることになった。「私自身、なぜテロリストたちがいまだに・・・私たちの食糧供給を攻撃していないのか、皆目見当もつかない。非常に簡単に攻撃できるはずなのに」(P191)
  • そして最後に地球温暖化の問題が持ち上がり、これがスヴァールバルのプロジェクトを生き返らせる極め付きの推進力となった。(P192)