2010-01-01から1年間の記事一覧

石油の歴史(2)ロイヤルダッチ・シェル

今日は、スタンダード・オイルへの対抗馬として登場することになるロイヤルダッチ・シェルについて、まとめてみたいと思います。タイタスビルでドレーク大佐が石油鉱床を掘り当ててから遅れること20年余り、アメリカに次ぐ産油国としてロシアが台頭してきま…

石油の歴史(1)石油業界の誕生とスタンダード・オイル

今日から、石油会社の歴史を少し振返ってみたいと思います。 様々な著作があるので、取り上げるのは気が引けたのですが、やはりスタンダード・オイルから取り上げてみました。石油の「発見」現在につながる石油の歴史は、ペンシルベニア州北部のタイタスビル…

英蘭の金融史(6)サムソン・ギデオン

ここまでイギリス国債について見てきましたが、これで一区切りつけたいと思います。最後に、国債引受会社であるサムソン・ギデオンと、その後のイングランド銀行について簡単に整理してみたいと思います。 サムソン・ギデオン まずは、サムソン・ギデオン(S…

英蘭の金融史(5)南海泡沫事件

今日は、南海泡沫事件について取りまとめていきたいと思います。まずは、『国債の歴史』からの引用を。 期限前に償還することができない国債が存在したことが国債整理の障害となった。イングランド銀行などの特権会社以外が保有している三二年物、九九年もの…

英蘭の金融史(4)18世紀

まずは名誉革命後のイギリス国債の概要を俯瞰した後、「南海泡沫事件」、「サムソン・ギデオン」、「イングランド銀行の権限強化」、の3つについてちょっと触れてみたいと思います。それでは早速、名誉革命後のイギリス国債の概要について、再び『国債の歴…

英蘭の金融史(4)戦費調達

最後に、名誉革命政権のその後とイギリス国債の功罪について少しだけ触れて、終えたいと思います。 まずは、名誉革命政権のその後についてです。『国債の歴史』から再び一部を引用します。 ルイ十四世との九年戦争に伴う重税によって、伝統的ジェントリーが…

英蘭の金融史(3)イングランド銀行

続いて、名誉革命からイングランド銀行設立までについて取りまとめたいと思います。今回、国債について取りまとめようと思ったきっかけは、中央銀行の成り立ちをその裏側から眺めてみたいと思ったからであり、他の中央銀行のモデルケースであるイングランド…

英蘭の金融史(2)国王の私債(Crown Debt)

これから数回に分けて、イギリスの国債誕生を巡る歴史をまとめてみたいと思います。以下、富田氏の「国債の歴史」によるところが大半ですが、話の流れを円滑にするため、いくつか話しを付け足していますので、富田氏の歴史観を知りたい方は、是非、原典にあ…

英蘭の金融史(1)アムステルダム銀行

今回は、イングランド銀行のモデルとなったアムステルダム銀行を生んだネーデルラントを含む中世都市国家の公債について整理してみたいと思います。十字軍以降、中世ヨーロッパは、イタリア都市国家を中心とする地中海貿易と、北部都市国家を中心とする北海…

日本の金融史(12)ニクソン・ショックと石油・ドル本位制

いざなぎ景気は1965年から1970年にかけて57ヶ月続いた戦後最大の景気回復で、テレビや車、クーラーの「3C」が個人消費を牽引していました。5年近く続いた「いざなぎ景気」が終焉したその翌年の終戦記念日に国際通貨制度における事件、つまりニクソン・ショ…

日本の金融史(11)ドッジライン&吉田茂の家系

今回は、ドッジラインまでの戦後の日本について簡単に整理してみました。最後におまけで吉田茂の家系についてちょっと書いています。戦後インフレ 戦後の日本は激しいインフレに襲われました。1935年の卸売物価水準を基準とすると、終戦時には3.5倍、24年に…

日本の金融史(10)第二次大戦中の通貨戦争

前回の「IMF体制」から話しが戻ってしまいますが、太平洋戦争開戦前に中国で繰り広げられていた日本と英米の間での中華民国通貨を巡る面白い話を、谷口智彦「通貨燃ゆ」をベースに、ご紹介したいと思います。1930年代後半、中国は蒋介石率いる国民政府が反共…

日本の金融史(9)IMF体制

今回は、戦後の昭和金融史を整理する前に、IMF体制を簡単に整理してみたいと思います。1944年にアメリカ、ニュー・ハンプシャー州ブレトンウッズで開催された会議では、戦後の国際通貨体制の枠組みの草案として、ホワイト案(米国)とケインズ案(英国)が対…

日本の金融史(8)井上準之助と国際金融資本家

井上準之助と国際金融資本家の関係を、(1)第9代日銀総裁時代、(2)震災内閣蔵総時代、(3)第11代日銀総裁時代、(4)浜口・若槻内閣蔵総時代の4つの時代に区分して整理したいと思います。これはそれぞれ(1)大正バブルの崩壊(1919〜20年)、(2…

日本の金融史(7)金融恐慌・昭和恐慌

昭和に入ってから恐慌が続きます。まず昭和2年(1927年)に金融恐慌を迎え、昭和5年(1930年)の金解禁を背景に昭和恐慌(昭和5・6年,1930-31年)が起き、昭和7年(1932年)に再び金兌換が停止されるに至ります。 昭和初期の急速な軍国主義の勢力拡大の背…

日本の金融史(6)1920年代の欧米金融機関と日本政府

1920年代の欧米金融機関と日本政府の関わりについて簡単にまとめてみました。まずは、日本と米国の関係を対中国政策を軸に説明します。1900〜20年代の米国対中政策の概要 1899〜1913年は、共和党大統領が三人続きます。1899年のヘイ・ノートによる中国に対す…

日本の金融史(5)大正バブル

今回は、大正時代(1912-1926)の金融史です。まずは、大正バブルがはじけるまでのお話です。第一次大戦の戦争景気(1914〜1918) 第一次大戦前の日本経済は対外債務の累積により、財政破綻への道をまっしぐらに進んでいました。そもそもの問題の始まりは、…

日本の金融史(4)金本位制への復帰

日本は、1871年(明治4年)に「新貨条例」を定めて、新貨幣単位「円」とともに金本位制へ移行しますが、金貨の国外流出が続いたため、金銀複本位制を経て暫時銀本位制に変更されます。日清戦争後に金本位制に復帰しますが、金本位制復帰を決定した「貨幣制度…

日本の金融史(3)国立銀行の設立

今回は、国立銀行についてまとめてみたいと思います。ナショナル・バンク方式とセントラル・バンク方式の対立の影に三井組がいました。このあたりも含めて整理してみました。国立銀行条例(1872年) 1872年(明治5年)に制定された国立銀行条例は、当時のア…

日本の金融史(2)金本位制

さて、1870年に初の国債発行に成功した明治政府は、1871年に新貨条例を制定し、金本位制を採用しました。実際は、貿易目的に使用するために洋銀と同価値の「一円銀貨」も造られていたため、実質的には複本位制でした。伊藤博文が1870年12月(明治3年)にアメ…

日本の金融史(1)幕末の幣制と明治政府の国債発行

バチカン銀行の続きを書くまとまった時間がなかなかとれないので、自分の頭の整理のために「旧MATRIX」から日本の金融史についてバラバラと書いたモノを一部修正しながら転記していきたいと思います。まずは、幕末の貨幣制度から明治政府による初の国債発行…

バチカン銀行 (3)1970年代〜アンブロジヤーノ銀行事件

イタリアにインテーザ・サンパオロ銀行(Intesa Sanpaolo)というメガバンクがあります。2007年にインテーザ銀行(Banca Intesa)とサンパオロIMI銀行(Sanpaolo IMI)が合併してインテーザ・サンパオロ銀行になり、2010年6月時点の総資産額は約6,500億ユー…

バチカン銀行 (2)バチカン銀行の概要

さて、今回は「バチカン銀行」がいかなる組織であるのか、を紹介しましょう。「バチカン銀行」の正式名称は、「宗教活動協会(IOR:Institute for Works of Religion)」であり、1942年にピウス十二世(位1939-1958)によりバチカン市国内に設立されました。…

バチカン銀行 (1)バチカン株式会社

先月、産経ニュースに「バチカン銀行の資金押収 「闇」の解明なるか」という記事が載りました。 バチカン銀行の資金押収 「闇」の解明なるか 2010.9.22 19:27 【ロンドン=木村正人】「神の銀行」といわれるローマ法王庁(バチカン)の財政管理組織「宗教事…

地球最後の日のための種子(3)

“地球最後の日のための貯蔵庫”の概要を簡単に説明しましょう。正式名称は、スヴァールバル世界種子貯蔵庫(The Svalbard Global Seed Vault)であり、2008年の2月26日に開所式が行われました。この種子貯蔵庫は、ノルディック遺伝資源センター(通称ノルドゲ…

地球最後の日のための種子(2)

さて、ここまでは本ブログの序章という位置付けで、ここからが本題の「グローバル人事政策」です。本著の主人公であるベント・スコウマンは、もともとCIMMYTと呼ばれる国際トウモロコシ・小麦改良センターで数十年も同組織を率いてきました。そのスコウマン…

地球最後の日のための種子(1)

一年半ぶりにちゃんとブログを書いてみようと思います。テーマは、遺伝資源です。最近、『地球最後の日のための種子』を読んだので、この本を出所として、思うところをまとめてみたいと思います。個人的に注目しているのは、本著の中心人物であるベント・ス…