日本の金融史(4)金本位制への復帰

日本は、1871年明治4年)に「新貨条例」を定めて、新貨幣単位「円」とともに金本位制へ移行しますが、金貨の国外流出が続いたため、金銀複本位制を経て暫時銀本位制に変更されます。日清戦争後に金本位制に復帰しますが、金本位制復帰を決定した「貨幣制度調査委員会」を本日は取り上げたいと思います。貨幣制度調査委員会とは、1893年に、松方正義の働きかけを受けた時の大蔵大臣渡辺国武を通じ、勅令113号により設置された調査会でした。


貨幣調査委員会の設置の背景
 明治14年から五年間にわたり日本経済を財政緊縮で締め付けて、ようやく銀との兌換にまでこぎつけた松方正義は、通貨安定のための切り札とした銀の国債相場の下落という事態に直面しました。これまでは、他国が銀を通貨として放棄しても、銀貨国インドが銀の余剰を引き受けてきたので銀価格の暴落はかろうじて避けられてきましたが、1893年にそのインドが銀本位制の停止を発表しました。これにより、銀相場の暴落は目に見えて明らかになり、銀本位制をベースとして日本国通貨の安定性が再び危機に晒されるようになったのです。松方正義は、日清戦争における勝利のあと、庫平銀二億三千万両を受け取ることが決まっており、この賠償金をロンドンにおいて金で受け取り、それを準備として日本を金本位制に移行させることを計画していました(この計画書は五月時点に伊藤博文首相に渡していました)。

貨幣調査委員会の構成員
会長 :谷干城
副会長 :田尻稲次郎大蔵次官
幹事 :早川千吉郎大蔵相参事官
委員 :20名
阪谷芳郎 (大蔵省主計官)

  • 1884年東京帝国大学を卒業し、添田寿一とともに松方正義の懐刀として活躍する。大蔵大臣、東京市長貴族院議員をいった要職に就く。個人プレーに走る添田と異なり、阪谷はチームプレーヤーとしての役割を徹底し、松方の財政方針を徹底的に遵守した。

添田寿一 (大蔵省参事)

若宮正音 (農商務省商工局長)
原敬   (外務省通商局長)
渋澤栄一 (第一銀行頭取) :金本位制に絶対反対
益田孝  (三井物産専務)
園田孝吉 (横浜正金銀行頭取) :銀本位制

  • 特別調査委員会の委員長を務める。薩摩藩出身で、松方の信任が厚く、ロンドン領事の就任時、横浜正銀の頭取就任時に松方の推薦を受けていた。

川田正一郎(日銀総裁) :三菱閥
荘田平五郎(三菱社支配人)
和田垣謙三東京帝国大学法科大学)
金井延  (東京帝国大学法科大学) :複本位制(バイメタリズム)

  • 東京帝国大学法科大学の教授を務め、イギリスのマンチェスター学派の自由貿易論を日本に紹介する。バイメタリズムを実現する方法として、たとえ日本単独であってもバイメタリズムに即座に移行すべきとの見解を持っていた。もっとも恐るべき経済状況であるデフレの危険をはらむ金本位制よりは、インフレの危険をはらむ銀本位制のほうが、はるかにまし、との見解であった。

小幡篤次郎(慶応義塾塾長)
高田早苗 (東京専門学校〔早稲田大学前身〕)
堀田正養 (貴族院議員)
渡辺甚吉 (貴族院議員)
渡辺洪基 (衆議院議員
川島醇  (衆議院議員
栗原亮一 (衆議院議員
田口卯吉 (衆議院議員) :複本位制(バイメタリズム)

  • 1879年(明治12年)、経済雑誌社を興して「東京経済雑誌」を刊行し、経済評論の第一人者としての地位を確立する。1885年(明治15年)から5年間ドイツで歴史学派につき勉学し、リストなどの保護貿易論に近い立場をとっていた。バイメタリズムを実現する方法として、国際会議を開催して、世界全体が同時にバイメタリズムに移行することを提唱した。


貨幣制度調査委員会は、下記の三つのテーマを調査・検討することを目的としていました。以下、貨幣制度調査委員会の調査結果と結論を紹介します。

  1. (テーマ1)最近、金・銀の相対価格が変動しているのは何故か
  2. (テーマ2)最近の金・銀相対価格の変動は、わが国経済にどのような影響を与えているか。
  3. (テーマ3)最近の金・銀相対価格の変動を考慮すれば、わが国は現行の貨幣制度を改正する必要があるだろうか。また、あるとすれば新しく採用するべき制度は何か。また、その実施方法は。


(テーマ1) 最近、金・銀の相対価格が変動しているのは何故か 銀の生産の増加率は金の生産の増加率を上回ったという「供給側の要因」と、金に対する貨幣用途による需要が増加する一方で、銀に対する貨幣用途による需要が減少したという「需要側の要因」の両者によって、金高・銀安の傾向になったという分析結果が示されました。


(テーマ2) 最近の金・銀相対価格の変動は、わが国経済にどのような影響を与えているか
金高・銀安傾向により、銀貨国(日本)は、「農業の好況」と「商工業の発達」を経験し、金貨国は「農業者の困難」と「商工業の不振」を経験する。また、金貨国と銀貨国の状況を合せてみると、まず、両者の間の為替の変動が激しくなるために、貿易取引の不確実性が増し、銀貨国と金貨国との間における商業取引に渋滞をきたすことになります。また、為替の変動は国際的な金銭貸借のリスクも増大させるため、金貨国から銀貨国に対する資本の投下の減少につながります。


こうした状況分析を踏まえて、貨幣制度調査委員会は、日本の通貨制度にあり方について議論します。

(テーマ3)日本の通貨制度を改正する必要があるか否か
貨幣制度委員会では、五人の特別委員の間で意見を集約することができず、甲と乙の意見を併記することになりました。甲論は、「現状において、銀本位制を採用していることによって日本が得ている利益は、金本位制を採用している国がその制度によって得ている利益を大きく上回っている」として銀本位制を維持したほうがよいとするものでした。この案を支持したのは、金井延、園田孝吉、田口卯吉の三名でした。一方、乙論は、「銀本位制によって受けている貿易上の有利がいつまでも続くとは考えられない」とし、通貨制度の改正を促すものでした。この案を支持したのは、阪谷芳郎添田寿一の大蔵省出身の二名でした。
3月27日の総会において、谷会長は渡辺洪基、益田孝の二名を特別委員に追加して、この第三のテーマについてさらに検討させることとしました(この背景に、3月17日に松方義正が渡辺国武に代わって大蔵大臣に就任しており、金本位制への転換を強く主張する松方の存在が大きな影響を及ぼしていました)。
その結果、5月15日の報告結果は、以下のようになります。

  • 阪谷 金本位制の採用必要あり
  • 添田 将来における金本位制の採用、現在は準備に留める
  • 金井 将来、万国複本位同盟の成立があればそれに加わる
  • 渡辺 金本位制の準備を始める
  • 園田 現制度の改正の必要なし
  • 益田 各国の通貨制度が確立するのを待って行動する
  • 田口 欧米各国を勧誘して複本位同盟を締結する

ここで「目下における改正の必要性」について採決をしたところ、「目下、改正の必要あり」に票を投じたのは阪谷一人であり、他の六名は「目下、改正の必要なし」に票を投じる結果となります。そして、第六回総会(6月12日)で第三テーマについて最終決議が行われます。

  • 甲論 和田垣、金井、堀田、渡辺、渋澤、園田、小幡、高田、荘田、田口
  • 乙論 阪谷、添田、河島、栗原、益田
  • 棄権 田尻(「職務上、はばかるべき事情があり、意見を言うことができず、したがって決議にも参加しない」)。

これに対して、園田(横浜正金銀行頭取)のから動議が呈されました。「貨幣制度改正の必要性があるか」を問うている調査項目は、「将来の改正の必要性」も含めて問いているのだから、いまは改正の必要はないとしても、将来は改正の必要があると考えている者は、すべて「貨幣制度改正の必要あり」を支持しているとして、投票をカウントすべきだというものです。これに対して添田が反対動議を出すものの、八対七で園田動議は採択されました。園田動議に基づいて改めて貨幣制度改正の必要性について採択したところ、今度は八対七で「改正の必要あり」が可決となりました。

  • 改正必要 阪谷、添田、渡辺、河島、栗原、益田、荘田、田口
  • 改正必要なし 和田、金井、堀田、渋澤、園田、小幡、高田

さらに、現行制度を改正する必要があるとする者は、どのような制度に改正する櫃表があるとするかを採決に掛けたところ、六対二で「金本位制に改正するべき」が可決されることとなった。

  • 金本位制 阪谷、添田、渡辺、河島、栗原、益田
  • 複本位制 荘田、田口


疑念点
なぜ、園田はわざわざ動議を提示したのでしょうか。金本位制への移行を熱望していたのであれば、動議後の採決では「改正必要」に票を投じるはずですが、実際は「改正必要なし」に票を投じていました。荘田(三菱社支配人)もしくは田口(衆議院議員)は、複本位制を目指したのであれば、園田動議の時点で「改正の必要なし」に票を投じることもできたはずです。にも関わらず、「改正の必要あり」と動じておきながら、次なる投票で採択可能性が極めて低い「複本位制の採用」に票を投じたのは、何かしらの謀略があったのではないかという疑念を抱かせます。実際、動議を起案した園田自身は、動議後の採決において「改正必要なし」に票を投じていますが、本当に「改正必要なし」と思っているのであれば、わざわざ動議を起案する必要はなかったはずです。にも関わらず、動議を起案しつつ反対票を投じたのは、その後の投票結果が読みきれていたからではないかという詮索をどうしてもしたくなります。

明治30年3月11日の衆議院で、田口卯吉は貨幣制度調査会の意思決定プロセスに対して強く抗議しています。

「貨幣制度調査会は、決して金本位制を主張しない。貨幣制度調査委員会の多数は、現今のありさまをもって可なりというのでございます。むしろ銀本位論者の多いありさまでございました。しかして、その中に金本位論者はもちろんあった。しかしながら、このたび政府が出されたような金貨本位を主張した者は、独りもいなかったといっても宜しいのです、少々、翻案に近いのは阪谷君の案であったのです。しかしながら、阪谷君といえでおも、今日の一円銀貨をみな排斥して、法貨以外に追い払って、それで金本位を建てるというまでの議論をしていない。」

金本位制への復帰を強く望んだ松方正義薩摩藩出身で横浜正銀の頭取就任時に松方の推薦を受けていた園田孝吉、果たして金本位制への復帰は彼らによって導かれたシナリオだったのでしょうか。