The Origin of Financial Crises (4)

さて、今回もGeorge Cooperの『The Origin of Financial Crises』をベースに、中央銀行の役割について見ていきたいと思います。

中央銀行とインフレーション
日本銀行法では、日本銀行の目的を、「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定しています。う〜ん、ちょっと難しい表現ですね。また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。ここでは、「物価の安定」がポイントになっています。

物価の安定を図ることが、日本銀行を初めとする中央銀行の共通理念となっています。特にECB(Europe Central Bank)は、インフレーションを強く意識しており、下記の教育用ビデオにインフレーション・モンスターが登場するほどです。
http://www.ecb.int/home/movie/edumovie_en.wmv

ところで、このインフレーションは、Efficient Market Hypothesisとどのような関係にあるのでしょうか。Efficient Market Hypothesisによれば、市場価格は競争によって決まります。当然、この競争は価格競争も含みますから、市場全体に対して値下げ圧力が働きます。つまり、Efficient Market Hypothesisの帰結は基本的にデフレーションであり、インフレーションではないのです。

Efficient Market Hypothesisから直接導くことができない中央銀行とインフレーション。この両者は一体どのようにして今日のような密接な関係を持つようになったのでしょうか。George Cooperは、仮想の通貨史を用いて、これを説明します。これから紹介する仮想の通貨史は、あくまで「仮想」ですから、実際の中央銀行の成り立ち等とは若干差異があったりします。中央銀行の歴史に関心のある方は、下記のブログをどうぞ。

アムステルダム銀行
http://blog.livedoor.jp/m3953/archives/50774486.html#trackback

イギリス国債の誕生(1)〜(6)
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日本の国債(1)〜(2)
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ステージ1:物々交換の時代 - Barter Exchange
George Cooperは、物々交換から仮想通貨史を開始します。当たり前ですが、物々交換の時代、金融の不安定性が問題になることもなければ、当然、ECBの言うインフレーション・モンスターが登場する余地もありませんでした。


ステージ2:“金塊交換”の時代 - Gold Exchange
続いて、モノとモノを交換する時代から、金塊を媒体とした交換の時代へと移ります。ひとたび金が「交換の媒体」として認識されると、必然的に金塊は「価値の保蔵」としての機能も併せ持つようになります。金は、野菜のように腐りませんから、自分の畑で取れた野菜を金と交換して、来年のためにとっておくことが可能になったのです。

金塊が「価値の保存」機能を持つことで、インフレーション(不安定な金融システム)の歴史は幕を開けます。豊作の年の野菜と不作の年の野菜とでは、交換できる金塊の量に違いが生じます。これは、年によって交換できる金塊の量が変わることを意味します。つまり、金塊交換の時代、ときに人々はインフレーションに直面し、ときに人々はデフレーションに直面しました。ただ、物価の上昇圧力と下方圧力は基本的に同じ強さで働いており、長い期間でみると、物価は多かれ少なかれほぼ同じ水準を保っていました。現在の中央銀行が強く意識している一方通行のインフレ圧力は、この時代、存在しなかったと考えてよいでしょう。


ステージ3:金貨の登場 - Gold Money (Coin)
さらに、金塊は金貨(鋳造貨幣)へと進化を遂げます。金貨の登場は、交易を活性化し、経済発展に大きく寄与しました。金貨は“標準化された金塊”と考えてよいでしょう。金貨の登場は、改鋳(Currency debasement)の始まりでもありました。改鋳(悪鋳)とは、硬貨の原材料を減らして金の純度を落とし、鋳造する硬貨の量を増やすことです。改鋳(悪鋳)は、相対的に金貨の価値を低下させました。つまり、インフレーションです。

金貨の登場は、改鋳(悪鋳)を誘発し、インフレーションの可能性をもたらしたわけですが、実際に改鋳を行うためは、大衆から金貨を集め、新通貨を鋳造し、改めて流通させるまで非常に多くの時間を必要としたので、改鋳に伴うインフレーションはそれほど頻繁に発生せず、改鋳が行われた直後にインフレーションは限定されていたと考えてよいでしょう。

このステージのインフレーションは、金融市場の不安定性という性格よりも、政府の財源確保の副作用としての性格の方が強く、実際、イングランド銀行は、追加課税が困難になった名誉革命政府が戦費調達のとび技として設立されたのでした。


ステージ4:金預託証書の登場 - Gold Certificates
続く、通貨の進化は、金預託証書(certificates of gold deposit)の登場によってもたらされました。ここでのキーワードは、信用創造(Credit Creation)と銀行取り付け(Bank Run)です。

盗難や磨耗の危険を避けるため、人々は金貨を金細工商の金庫に預け、代わりに預り証を受け取るようになりました。預り証はいつでも金に交換可能なため、やがて人々は預り証をそのまま決済に用いるようになります。金細工商(銀行家)は、金銀が頻繁に引き出されなくなったため、金庫に眠った金を元手として、実際の金の裏づけが無いまま預り証を発行するようになります。例えば、金庫にある100万円の価値を持つ金貨を元手に、さらに100万円の預り証を顧客に「融資」するわけです。100万円の価値を持つ金貨に対して、オリジナルの100万円分の預り証に加え、融資を通じて新たに生み出された100万円の預り証、合計200万円の預り証が発行されたことになります。これが信用創造(Credit Creation)の始まりです。融資と信用創造がセットになっていると点がポイントです。

このプロセスを通じて、金融の不安定性が大幅に増大しました。第一に、金細工商(銀行家)が保有している金貨の価値以上の預り証が流通するようになったことで、金融システムの不安定性が増大しました。第二に、銀行間における預り証の相互持合いが増加したことにより、金融業界内部の相互依存性が高まり、金融システムの不安定性を増大する一因となりました。

この金預託システムの不安性を表す典型例が、銀行取り付け(Bank Run)です。銀行取り付けとは、何かしらの些細な出来事がきっかけで、顧客がいっせいに金の引き換えを要求する出来事を指します。銀行は、保有している金貨以上の預り証を発行しているため、全ての顧客の要望に応じることはできませんし、また、少しでも引き換え要求に応じるため、債権の回収を加速化します。この銀行からお金を借りていた事業家は、新たに資金調達先を探さなければならなくなります。

この銀行取り付けは、決して過去の話ではありません。金本位制度の下でも起こりましたし、最近でも銀行取り付けが実際に問題になっています。2008年2月、イギリス政府による一時国有化が決定されたノーザン・ロックは、サブプライム問題をきっかけとする信用不安により、預金払い戻しなどを求める客が店頭やインターネット口座に殺到、数日で預金残高の8%にあたる20億ポンドが引き出されました。

これまで説明してきた、「預けられた預金の一部を手元に残し、残りの部分は貸し出しに回す」制度を部分準備銀行制度(fractional reserve banking)と呼びます。この部分準備銀行制度の下、金融システムの不安定性は急激に拡大しました。景気が良いときは、銀行家は貸付(信用創造)に積極的になり、より多くの通貨が供給される結果、インフレーションを引き起こしました。一方、景気が悪くなると、銀行家は貸付(信用創造)に消極的になり、結果として供給される通貨が減少し、デフレーションが引き起こされました。つまり、金預託証書とともに誕生した信用創造システムは、インフレーションとデフレーションのサイクルを増幅させたのです。

しかし、部分準備銀行制度は、インフレ・デフレサイクルを増幅させはしたものの、現在の中央銀行が想定しているような恒常的なインフレーション懸念は存在しませんでした。部分準備銀行制度は、信用創造により金融システムを不安定化させつつも、依然として預託された金貨の量によって流通する通貨の量も制約を受けていたからです。


(民間部門における信用創造
ここで少し民間部門が行う信用創造を丁寧に見てみましょう。民間部門で行われる信用創造は、銀行家の融資を通じて行われます(銀行家が金庫の金貨を元手に預り証を新たに発行し、人々に融資する)。ポイントは、新たに負債が発生すると同時に新たな通貨(預り証)も発生し、負債が返済されると新たに発生した通貨(預り証)も市場から回収されるという仕組みを理解することです。つまり、通貨と負債は表裏一体の関係にあるのです。
従って、民間部門で行われる信用創造は、恒常的なインフレ圧力にはなりえません。負債=通貨ですから、新規融資額と返済額がほぼ同額であるとすると、新たに発生する通貨(預り証)と市場から回収される通貨(預り証)は相殺しあい、通貨それ自体の流通量は変わらないということになります。“負債返済額<新規融資額”の関係が永久に続くことはないので、いずれ“負債返済額>新規融資額”という関係が成立する時期が訪れます。つまり、通貨供給量が増大する時期(インフレ)に続いて、通貨供給量が減少する時期(デフレ)が必然的に訪れるのです。

さて、少し長くなったので、一度ここで切り上げたいと思います。次回からやっと中央銀行が登場します。