日本の金融史(12)ニクソン・ショックと石油・ドル本位制

いざなぎ景気は1965年から1970年にかけて57ヶ月続いた戦後最大の景気回復で、テレビや車、クーラーの「3C」が個人消費を牽引していました。5年近く続いた「いざなぎ景気」が終焉したその翌年の終戦記念日に国際通貨制度における事件、つまりニクソン・ショックが起こりました。
今回は、ニクソン・ショックを当時の日本がどう迎えたのか、そして当時の愚行(愚考)を再び繰り返すのではないかという問題意識について、取りまとめたいと思います。

ニクソン・ショックとは
まず、ニクソン・ショックについてですが、Wikipediaからの抜粋です。

ニクソン・ショックとは1971年アメリカ合衆国が、それまでの固定比率によるドルと金の交換をとめたことによる、国際金融の枠組みの大幅な変化をいう。ニクソン大統領(当時)が国内のマスメディアに向けこの政策転換を発表したことにより、ニクソンの名を冠する。ショックと呼ぶのは、この交換停止はアメリカ議会にも知らされておらず極めて大きな驚きを与えたこと、またこの交換停止が世界経済に甚大な影響を与えたことによる。ドル・ショックとも呼ばれる。

1971年8月15日に、ニクソンが金ドル交換停止を含む声明を発表し、同年12月に、ワシントンのスミソニアン博物館で各国の蔵相会議において、ドルと各国通貨との交換レート改定が決定され、日本円は360円から308円へ16.88%の切り上げが決定しました。
基軸通貨であるドルが金から自由になるという当時の国際通貨制度の根本を覆す事件だったにも関わらず、当時の日本は、ニクソン・ショックの「円の切り上げ」という側面ばかりしか見えなかったようです。
当時の国際金融問題の第一人者であった柏木雄介氏ですら、次のような状況でした。

本田敬吉・秦忠夫編『柏木雄介の証言 戦後日本の国際金融史』より

ヨーロッパで何人かの人と話すうちにニクソン・ショックの現実的意味合いがよくわかってきた。われわれは最初、円の対ドル相場がどうなるかという点に関心を集中したのであるが、問題のスケールはもっと大きく、主要国通貨全部を巻き込んだ多角的通貨調整が課題になっていることがわかった。この点を一番明快に開設してくれたのはOECDのエミール・バン・レネップ事務総長であった。この人と一緒に二時間ほど昼食を取りながらいろいろ話した。『今度の問題は、主要通貨全部と対ドル相場をどう調整するか、それと同時にマルクとフラン、マルクとポンド、マルクと円といったようにドル以外の通過間の調整をどうつけるかという話だ。大変な作業だから時間がかかる。話が纏まるのはたぶんクリスマス頃だ』と言う。後で思い起こしてみても見事な分析で、結末のタイミングまでぴったり当たっている。
ヨーロッパからアメリカに渡って、IMF専務理事やアメリカの財務長官と会うにつれ、そうした見通しが裏付けられてくる。『これは多角的通貨調整であり、円も無傷ではすまない。時間はかかりそうだが、やがて円の切り上げは避けられない』という結論をもって、日本に帰ってきた。

このように国際金融問題の第一人者と目された柏木雄介氏ですら、エミール・バン・レネップ事務総長と話してやっと事の重大性に気づき、「後で思い起こしてみても見事な分析で、結末のタイミングまでぴったり当たっている」と、低い目線で過去を振返っています。お寒い状況です。明治維新以降、シフやラモントと渡り合えた人材を輩出してきた日本ですが、戦後になると国際金融のセンスを持った人材の供給はストップしてしまったようです(まぁ、明治維新前後に登場した人達も自生的に国際金融資本家と渡り合えるようになったとは思っていませんが)。
1971年の時点で、米国の金兌換停止を予想することが難しかったかと言うとそうでもないようです。実際、ドイツは前年の1970年の秋に9%強の対ドル切り上げを行う等、その予兆がなかった訳ではありません。谷口智彦氏の『通貨燃ゆ』から抜粋して当時の状況をご紹介します。

ともあれブレトン・ウッズ以来、ドルのみに金との交換性をあたえた所から、すべての問題は発生した。これがあるばかりに、米国はいつ誰が、ドルを金と交換しろといってくるかおびえ続けていなければならない。
ここで金に対するドル平価を切り下げる選択は、米国の敗北宣言となるゆえにできなかった。のみならず、それは世界的な通貨切下げ競争を招き、通称の途絶から、1930年代型の恐慌、ファッショ化路線の再来に至ると信じられていた。これも半世紀近くを経た今、過剰な反応だったというのはやさしい。が、大恐慌世代に属する大統領たちは心からそう信じていたというのである。
残された中で最も根底的な解決策とは、ドルと金の交換を停止し、固定相場制を廃止してしまうことである。言うまでもなくニクソン大統領が1971年8月に宣告した道だ。
ところが次のような事実を、われわれは今日に至るまで知らずにきた。
金の流出がドルの信認を揺るがすことに関しては、早くもアイゼンハワー大統領が悩んでいた。アイゼンハワーは「金のかわりにウラニウムを準備資産とする」アイデアを述べたことがあるという。
またケネディ政権当時、大統領経済諮問委員会委員長だったジェームズ・トービンが「ドルの金に対する平価を決めているのは神様ではない。憲法でもない。いまそれを変更したからといって、世界がそれで終わるわけではない」と言っていた。
下って1966年、ジョンソン政権のとき、連邦準理事会の国際金融局が極秘裏に作った報告書に盛り込まれていた「プランX」は、米国公的筋による金の売買を停止し、ドル平価を変動制に変えることを勧めたもので、五年後の政策を大筋で先取りしたものだった。
そして1968年3月17日には、「アメリカ政府は外国の政府と中央銀行との間に関しては、1トロイオンス=35ドルの公定価格で金の売買を続けるが、(略)金市場に金を供給することはやめるという声明」を出し、金ドル交換性を完全な「フィクション」にしてしまった。
一方で金ドル平価維持のため金市場に介入しないと言っているわけで、金の高騰=ドルの暴落を放置すると言っているに等しい。そのことと、他方で掲げる公的当局間の公定レート維持という政策は、到底両立しないからである。
とまれ、ここまでの経緯を伏線として、ニクソン「ショック」は現出した。ガビンが言うとおり、それは完全に予見可能なもの、と言って言いすぎなら、起きても決して驚くべきではなかったものだったわけである。

米国の国際収支が赤字を続け、諸外国に余剰ドルがたまり、これらを金に両替しろと言われるとたちまち金準備が尽きて、ドル=米国の信用が地に落ちる。こうしたシナリオは誰でも想像できたことであり、実際にアイゼンハワーケネディ、ジョンソンも上記のようにこのシナリオをいかに回避するかを考えていた訳です。

米国の破綻・ドルの破綻
さて、ここまでニクソン・ショックという30年以上前の出来事をつらつらと書いてきましたが、これと同じ状況に現在の日本は陥っていないか、ちょっと心配になります。

アメリカは破産する?
 7月中旬、アメリカの中央銀行にあたる連邦準備銀行の専門家が「このままだとアメリカは破産する」と指摘する論文「Is the United States Bankrupt?」を書いた。
論文は、セントルイス連邦準備銀行エコノミストであるローレンス・コトリコフ(Laurence J. Kotlikoff、ボストン大学教授を兼務)が書いたものだ。それによると、アメリカでは、高齢者向け(メディケア)と、低所得者向け(メディケイド)の2つの官制健康保険と、公務員年金の制度改定を、ブッシュ政権が行った結果、今後これらの社会保障費の政府予算支出が急増していくことが確実になっている。
ブッシュ政権はその一方で、大規模な減税政策を行い、それを恒久化しようとしている。今後、政府支出の増加と、税収の減少によって、財政赤字が急拡大することが予測され、アメリカの財政赤字は66兆ドルに達すると論文は指摘している。現在のアメリカの財政赤字は約8兆ドルなので、赤字は今の8倍にふくらむことになる。(関連記事)
66兆ドルという赤字額は、アメリカの国家経済の規模の5倍であり、アメリカ政府は赤字を返済できないので破産状態になるというのがコトリコフの予測だ(日本の財政赤字は9兆ドルで、国家経済規模の2倍)。破産を防ぐには、ブッシュの減税政策をやめて所得税法人税を倍増させ、消費税も導入するか、社会保障支出を削って3分の1にするか、連邦政府予算のうち使い道に自由裁量がある部分を大幅に削るか、といった方策を採る必要があるという。(関連記事)
66兆ドルという赤字額は、コトリコフの同僚の学者が昨年発表した数字だが、米財務省が決めた方式に従って計算したもので、信憑性の高い数字だという。コトリコフによるとこの数字は、政府の緊急支出を勘案していない上、楽観的な経済予測を使って計算しており、実際の財政赤字はもっと増える可能性がある。
http://www.tanakanews.com/g0815economy.htm 

ブレトン・ウッズ体制成立以降、基軸通貨として圧倒的な地位を獲得し、ニクソン・ショック以降、金準備の制約からも解放されたドルですが、ドルの基軸通貨としての強さを裏付けたのが石油との排他的・独占的交換性でした。谷口智彦氏は、『通貨燃ゆ』の中で、これを“石油・ドル本位制”と呼んでいます。

ワシントン・リヤド密約とは
アメリカと、世界最大の産油国サウジアラビアとの間に暗黙の約束(「ワシントン・リヤド密約」)があるとの説を聞くことがある。「密約」である以上、項目を列挙するすべはない。内容には論者によって異同がある。けれども公約数的な解釈を、次のように言うことはできる。
すなわち「ワシントンは、サウド王家に安全保障を提供する。リヤドは引き換えに、米国国益の増進を心がける」
CIA出身のロバート・ベアというアメリカ人が書いた近刊書や、米系石油会社アラムコの歴史とイブン・サウド・サウジ初代国王の一代を記した本などはどれも、密約の原型を1945年2月、ヤルタ会談直後に持たれた米サ頂上会談に求めている。スエズ運河北口へ停泊中の米巡洋艦「クインシー」上で開かれたローズベルト大統領とイブン・サウド国王の極秘会談は、第二次大戦後のサウジを守るのはイギリスではなくアメリカだという点を含め、互恵関係を進める包括合意を生んだ。
これは後に、アラブ諸国が共産勢力から攻撃された場合、アメリカは求めに応じて必ず軍事介入するという「アイゼンハワー・ドクトリン」へと発展する。
石油販売代金はドルのみで受け取るというサウジの約束―石油・ドル本位制の主柱―とは、もしあったとしたら、元来このように冷戦下のバーター取引として生まれたものである。

この石油・ドル本位制が今、複数ルートで挑戦を受けています。一つは「ユーロ」、もう一つは「ルーブル」、そして将来的には「元」がこの挑戦者として浮かび上がります。例として近年のロシアの動向を簡単に整理してみたいと思います。
ロシアは、2005年時点で石油生産量が世界2位(12.1%)、石油埋蔵量が7位(6.2%)、天然ガス埋蔵量が1位(26.6%)という資源国です。
まず、2003年10月、ロシアのプーチン大統領はドイツのシュレーダー首相とのトップ会談で、輸出原油をユーロ建てで決済することの可能性を示唆しました。これは結局頓挫してしまいますが、ユーロ決済に反発していたのがプーチンによって解体されたユコスだったという事実がいろいろなことを想像させてしまいます。

Putin大統領のロシア原油ユーロ建て化 既に頓挫
(2003 Reuter 10/22, TASS 10/21, FT 10/10, Platts 10/19, 10/17)
10月初め,ロシアPutin大統領は,ドイツのシュレーダー首相とのトップ会談で,輸出原油における販売価格のユーロ建て化について「その可能性を排除しない」として関心を示したことで,紙面でもロシアが原油価格のユーロ建て化を推し進めれば,ドルは弱体化するかもしれないと報道され,金融業界や石油業界に大きな衝撃を与えた。しかし,このロシア原油のユーロ化案は,10日もたたない内に,頓挫した。
まず,ロシア最大の民間石油企業であるYukosが,「ロシア政府の打診があろうともユーロでの原油販売は行わない」,「原油市場はドル建て市場であり,変わる兆しはない。」と言明した。また,ロシアのカシヤノフ首相も,そもそも「政府は,国内の石油企業と議論できるような問題ではないし,その効力はない」と見解を述べている。今回のPutin大統領の発言は,WTO加盟に向け,意見が合わない欧州との経済統合について,欧州委員会EC側を引き寄せたいとの思惑があったのではないかとの話もある。
E Cでも,経済担当報道官Thomas氏は「EC委員長が以前,ロシアとヨーロッパ間の取引におけるユーロ建て化を促す発言をしているが,それはあくまでユーロ圏での取引が価格付けのベースになっているものに限られる。」として,原油のユーロ化促進を否定した。
そもそも世界の原油価格は,誰かが一方的に決められるものでもなく,市場取引によって決まる。その舞台は,米国商品先物市場であるNYMEXWTI原油先物の取引市場であり,そこで日量1億bbl以上のペーパー取引によって価格付けされ,それが世界の原油価格を先導している。Yukosなどのロシア民間企業にとってみれば,独自にユーロ決済化を取り入れたとしても,価格決定権もないし,価格の変動リスクが高い上に,為替リスクまで抱えることとなる。
一方,2001年にユーロ化計画が噂され,米国から制裁を受けているイランでも,今回の騒動を受けてZanganeh石油相が,同国は「ユーロ決済化もユーロ建て化の計画もない」し,「たとえイランがユーロ決済化を行ったとしても価格付けはドル建てに変わりはないだろう」と述べ,価格自体がドル体制下で決まっていることを認めている。
http://oilresearch.jogmec.go.jp/information/pdf/2003/0311_out_d_ru_crude_price_euro.pdf

このようにプーチン大統領の石油・ドル本位制へ挑戦は、一度は頓挫しますが、改めて国内の勢力基盤を固めた上で、再度、石油・ドル本位制に挑みます。

米ドルへの新たな脅威となるかロシア石油・ガス取引のルーブル建て構想
(2006年6月2日掲載)

 ・・・このほどロシアも同様の構想を有していることがプーチン大統領により明らかにされ、最近の米露首脳による非難合戦に新たな要素が加わることになりそうな雲行きとなっている。
 プーチン大統領がこうした構想について言及したのは、2006年5月10日に行われた年次教書演説においてであった。同日のプーチン大統領の演説では、西側諸国の専ら関心は石油・天然ガス資源を梃子に資源外交を強化する方針を表明した点に集中しているものの、実はブッシュ政権が最も神経を尖らせたのはイランが始めようとしているのと同様の動きについてプーチン大統領が言及した「石油・ガスをルーブル建てで取引する市場がロシア国内に創設される」との部分と「ロシアの通貨であるルーブルを国際的に交換可能な通貨とする作業が6月前半にも終了する」との部分であったといわれている。
 実際、同日の演説でプーチン大統領は「ルーブルはもっともっと国際取引の決済通貨手段とならなければならない」「この目的のために、我々は石油や天然ガスやその他の財がルーブルで取引される取引市場をロシア国内に創設する必要がある」と明確に述べ、石油・ガス等をルーブル建てで行う市場をロシア国内に設けるべきであるとの考えを示している。
http://www.idcj.or.jp/1DS/11ee_josei060602_2.htm

こうした石油・ドル本位制への挑戦は、ロシアだけに限りません。そもそもユーロという共通通貨を持つに至った欧州も挑戦者の筆頭でしょうし、米国から悪の枢軸国呼ばわりされたイラクやイランも石油・ドル本位制へ挑戦を試みています(もしくは試みて潰されてしまいました)。

石油の輸出通貨としてのドルの価値はどうなっていくか

 ・・・しかし最近は、アメリカの大幅な財政赤字と経常赤字及び欧州通貨の高騰も伴い石油市場での力の配分に変化が出てきたためこの構図で貿易を行なうことを修正する一連の試みが出てきた。この試みは、さらに、国際政治にも重大な変化をもたらした。例えば、サダム・フセインが「満足と交換に石油を」という計画にもとづき石油価格の設定や指決済の計算をアメリカドルではなくユーロで行なうよう要求した直後にアメリカのイラク攻撃が始まったという根強い説がマスコミには存在している。2000年9月に彼は、イラクはもはや石油の決済にドルは使わず、国連が運営する口座に保管される100億ドルをユーロに換金するよう命令したとする声明を出した。「まさにこの選択はイラクの運命を決めた。これは、ドルの不断の下落に関連した政治的収益をもたらそうとするイラクの政治的行動だった。これはアメリカがイラク侵攻を決定する最終論拠になった。事実、アメリカの歩兵隊がバグダッドに進入した時イラクの石油は再びドルで売られるようになったからだ」と安全保障の専門家で石油市場経済での労働に関する著者でもあるウイリヤム・クラークは語る。
 この戦争はドルの安定を求めた最後の戦争にはならない可能性もある。2006年にイランは石油価格がユーロに変換される石油市場を公開する計画を公表した。このニュースは石油業界、とりわけアメリカの業界に重大な不安を呼び起こした。現在、イランの石油市場は2つの既存の市場の十分な競争相手になり得る前提が揃っている。同国の石油輸出の3分1以上がユーロッパ向けであり、さらに、イランは、中国やインド、ヨーロッパと言った極めて重要な石油ガス輸入諸国から地理的に直接的な近接位置にあるためイランの国際市場への石油納入国としての戦略的重要性を高めている。イランは確認済み埋蔵で1300億トンの資源を保有している。これは全世界の埋蔵量の10%に当たる。
 石油のユーロ決済はラテンアメリカ諸国の採掘者にも肯定的に受け止められている。ヴェネズエラ大統領ウーゴ・チャヴェスやペルシャ湾、ロシア、中国の石油業者も好意的に受け止めている。それに、イランは3年に亘りアジアやヨーロッパに輸出される石油の決済金はユーロで受け取りたいとの希望を表明している。
www.rotobo.or.jp/jouhoukan/novosti/2006No.109.pdf

最近、通貨やエネルギーを巡る国際情勢が大きく変化しつつあると感じています。一人の日本人としてニクソン・ショック同様の対応(反応)はしたくないなぁとつくづく思う今日この頃です。

(2006年11月22日執筆)