The Origin of Financial Crises (6)

さて、今回は、金本位制度から不換紙幣制度への移行段階における中央銀行の役割について見ていきたいと思います。George Cooperは、ハイパーインフレーションの典型例としてよく教科書で紹介されているドイツではなく、米国に焦点を当てて検討を行っています。

ステージ6:不換紙幣制度
米国の不換紙幣制度への移行は、二つの世界大戦が契機となりました。第一次大戦により多額の賠償債務を負ったドイツは、ハイパーインフレーションと経済破綻に見舞われ、わずか20年で世界は再び第二次大戦に突入しました。この反省を活かし、第二次大戦後、世界は、報復(retribution)ではなく、再建(reconstruction)を念頭に、各国の経済基盤を再建に必要な安定的な国際通貨システムの構築が目指したのでした。これがブレトンウッズ体制です。1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズにおいて調印されたIMF協定によって次のことが決められました。

  • 各国は金または「1ドル=35分の1トロイ・オンスの金」と等しい価値を有するドルで表示された平価に基づく固定為替相場制を採用し,為替相場の変動を平価の上下各1%以内に抑えること。
  • 平価は基礎的不均衡がある場合にしか変更が認められないこと。

この体制は,IMFが加盟国に短期的国際収支赤字のファイナンス資金を貸し出すこと、米国がドルを公定価格でいつでも金と交換することを約束することによって支えられていました。1960年代後半までに日本やドイツを初めとする各国は順調に経済を回復させ、米国との貿易関係も逆転し始めました。米国は輸入が輸出を上回り、貿易赤字を計上するようになり、米国からドルが純流出するようになります。結局、米国は、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなりました。1971年8月15日、米大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました。これをニクソン・ショックといいます。米国ドルは、金兌換紙幣であることをやめ、不換紙幣へ転換したのでした。

このあたりの状況は過去のブログで少し異なる視点から整理しています。

金を巡る物語
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ニクソン・ショックと石油・ドル本位制
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IMF体制
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金兌換紙幣の時代、常に通貨は債務と表裏一体の関係でした。政府にとって、金兌換紙幣の発行は、“紙幣を金と交換する”という債務を新たな負うことに他なりませんでした。この通貨と負債の表裏一体の関係が、不換紙幣制度の導入により解消されます。つまり、政府は何の債務を負うことなしに紙幣を発行できるようになったのです。

追加債務から開放された政府は、通貨の追加発行を繰り返し、それを財政支出に充てるようになりました。政府の追加支出は、市場価格をつり上げ、労働者の購買力を低下させます。これに対して、労働者は購買力を回復するため賃金アップを求め、企業は製品を値上げすることで賃金アップの要請に応じます。この製品値上げは、政府の購買力を相対的に低下させ、再び政府は通貨の発行を繰り返します。このインフレーション・スパイラルは、企業の投資活動を消極化させ、インフレーションと経済停滞が同時進行するスタグフレーションを引き起こしました。金本位制度から不換紙幣制度に移行することで、経済停滞とインフレーションが同時に成立するようになったのです。ECBの言う“インフレーション・モンスター”の登場です。

さて、不換紙幣制度の導入によって登場した“インフレーション・モンスター”に対して二つの処方箋が施されました。一つは、政府が自らに厳しい財政規律を課すようになりました。EUの「安定成長協定(Stability and Growth Pact)」が典型例です。もう一つは、中央銀行に、インフレーションの抑制という新たな使命を与えました。中央銀行が、金利のコントロールを通じて、政府の過剰な通貨発行に対応するようになったのです。中央銀行は、金利の上昇を通じて民間の信用創造を抑制し、政府が追加発行した通貨供給を相殺します。また、信用創造の抑制は、経済成長を抑制し、結果、政府の税収減につながるため、政府は財源確保を目的とした通貨発行を容易に行えなくなります。このように政府に対する牽制機能が中央銀行に期待されるようになったため、中央銀行の独立性が同時に必要とされるようになりました。

ここまでのポイントは、インフレーション・モンスターが問題になり始めたのは金本位制度を放棄し不換紙幣制度を導入した1971年であり、中央銀行がインフレーションの抑制という使命を担うようになってから40年も経っていないという点です。“インフレーションの抑制”という新たな使命が“金融システムの安定化”といった従来の使命に対してどのような影響を及ぼすのかについて、中央銀行はわずか40年足らずの経験しか持ち合わせていないのです。

今日、各国の中央銀行は、インフレ率をおよそ2%程度になるよう金融政策を運営しています。これには、三つの理由が存在します。

  1. 賃金政策の柔軟性
  2. 金融政策の自由度
  3. 貯蓄に対する課税効果

第一の理由は、賃金の下方硬直性に関係があります。賃金は一度上げてしまうと引き下げるのは非常に難しく、これを賃金の下方硬直性と呼びます。ただし、若干プラスのインフレ率を%で維持することで、この賃金の下方硬直性に対応することが可能になります。つまり、プラスのインフレ率の下、賃金を一定に維持することは、実質賃金の引き下げを図ることに他なりません。つまり、若干プラスのインフレ率は、企業の賃金政策に柔軟性を与えることになるのです。
第二の理由は、中央銀行の金融政策と関係があります。中央銀行は、金利の上げ下げで金融政策を実行するのですが、名目金利はゼロを下回って低下し得ないため、若干プラスのインフレ率を維持することで、中央銀行がコントロールできる金利の幅を確保することが可能になるのです。

『「物価の安定」についての考え方』 日本銀行、2000年10月13日
名目金利はゼロを下回って低下し得ないことなどを考えると、金融政策は経済がデフレ・スパイラルに陥ることのないよう十分注意して運営されるべきである。この面からは、金融政策の運営上は物価指数の変化率でみて若干プラスの上昇率を目指すべきとの考え方は、検討に値する。
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji/kako02/k001013a.htm

第三の理由は、税金と関係があります。我々は、まず所得を得た時点で課税されます(所得税)。そして、その所得を消費した時点で再度課税されます(消費税)。この所得と消費の間に、まだ課税の余地が残されています。貯蓄です。貯蓄そのものに直接税を課すことはなかなか難しいですが、プラスのインフレ率を維持することによって、二つのルートで貯蓄に対して税が課すことが可能になりました(容易になりました)。まずは、キャピタル・ゲインに対する課税です。プラスのインフレ率を維持することで、インフレによる資産増額分に対しても税を課すことが可能になりました。また、インカム・ゲインに対しても課税します。こちらの方がより重要です。例えば、年2%の利子所得を考えて見ましょう。インフレ率がゼロであれば、名目利子率も2%(=2%+0%)です。税率を40%だとすると、税引き後の利子所得は、1.2%(=2%*0.6)となります。では、インフレ率が2%だとどうなるでしょうか。この場合、名目利子率は4%(=2%+2%)となり、税引き後の利子所得は、2.4%(=4%*0.6)となります。所得は2倍になりました。では、インフレ率が4%ではどうでしょう。名目利子率は6%(=2%+4%)、税引き後の利子所得は3.6%(=6%*0.6)となります。インフレ率がゼロの場合と比べて、税引き後の利子所得は3倍になり、一方、税収も0.8%から2.4%に増加しました。税引き後の利子所得も税収も増えてめでたしめでたし・・・とはなりません。インフレにより通貨の購買力は低下している訳ですから、インフレ調整後の税引き後の利子所得は、1.2%から-0.4%(=3.6%-4%)に低下してしまったのです。このように、プラスのインフレ率を維持することで、政府は実質的に貯蓄に対しても税を課すことができるようになったのです。

政府が無制限に通貨を発行できるようになったことで、政府はあらゆる債務を帳消しにする能力を手に入れました。政府は自国通貨建てで発行した国債であれば、意図的に高めのインフレ率を設定することで、債務を帳消しにできます。また、自国通貨建てで借り入れている限り、政府が破産することはなくなりました。

今日は、金本位制度(gold standard)から不換紙幣制度(fiat currency)への移行に伴う金融システムの変化を整理してみました。次回は、ここまでの議論を整理した上で、中央銀行のもう一つの使命であるデマンド・マネジメントを紹介し、今回の金融危機に対する中央銀行の責任を整理したいと思います。