日本の金融史(10)第二次大戦中の通貨戦争

前回の「IMF体制」から話しが戻ってしまいますが、太平洋戦争開戦前に中国で繰り広げられていた日本と英米の間での中華民国通貨を巡る面白い話を、谷口智彦「通貨燃ゆ」をベースに、ご紹介したいと思います。

1930年代後半、中国は蒋介石率いる国民政府が反共を掲げ、内戦状態にありました。そんな中国への進出を目論む日本は、中国通貨の信用力と購買力を奪おうと試み、一方蒋介石政権の後ろ盾となっていた英米は中国通貨の信用力を守ろうとしていました。

第1ラウンド 銀準備を巡る戦い
当時の中国は、他の主要国が金本位制へと移行する中、銀本位制を採用しつづけていました。これに対して日本は、中国通貨の信用力を低下させるために銀の密輸入を積極的に奨励していたそうです。さらに、1934年に米国で銀購入法が成立し、国際銀相場があがっており、ただでさえ紙幣を銀に替えて売却しようとする動機が中国人の間で高まっていました。
これに対して、英国政府は1935年11月3日に、サー・フレデリック・リース=ロスを中国へ送り、財政顧問として銀廃貨の幣制改革を実施させます。通貨を金や銀の裏打ちのない無制限法貨としたこの措置により、銀準備下落による通貨信用力の低下という日本の目論見はひとまず封じ込まれました。

第2ラウンド 為替市場を舞台とする戦い
1935年の幣制改革以降、中国通貨は米ドルと英ポンドに一定交換比率を参照する管理フロート制となり、中国通貨の信用力を巡る戦いが為替市場へと移ります。
日本は、中国が幣制改革を行った1週間後、外為専門銀行である横浜正金銀行を使って中国通貨を売り浴びせる大規模オペレーションを発動しました。これに対して、中国は手持ちの銀を米国政府に買ってもらい、そこで得た米ドルと金が中国政府の為替安定化基金の原資となります。
こうして日本が中国通貨を売り浴びせる一方で、米国政府が中国に資金を提供するという構造が続き、太平洋戦争が始まる1941年までの8年間、米国は中国から銀を買いつづけたそうです。その総量は、合計1万6千トン強であり、当時の邦価に換算すると9億円以上になります(1939年の日本の貿易黒字額が7億円弱でしたので、相当の額になります)。

結末
米国に銀を売り続けた中国は、最終的に売れる銀がなくなってしまい英国から借金をすることになります。これが1939年月に締結された英中間の法幣安定借款です。中国銀行、中国交通銀行という国民政府側銀行に、香港上海銀行*1と麦加利銀行*2を加えた四行が、香港に新設された基金へ1,000万ポンド(当時の邦価換算で1億7,100万円)を英国政府保証つきで貸し付けるという内容でした。さらに、1941年4月25日平衡基金協定が調印され、中国はアメリカから5000万ドル、イギリスから500万ポンドを供与されます。そうこうしているうちに、1941年12月8日の真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まります。

中国に対する通貨攻撃が良いか悪いかは別として、当時の日本が通貨制度の持つ意味を理解して、通貨攻撃を仕掛けるというセンスを持っていたことを知って驚きました。これまた、谷口智彦「通貨燃ゆ」で知ったことなのですが、1940年前後に中華民国に対する通貨攻撃をミッションとする「杉工作」という工作活動があったそうです。以下、引用します。

担当したのは今日本ほとんど忘れ去られた阪田誠盛という人と、その率いた特殊工作班「阪田機関」だ。阪田の関係者が上梓した『「阪田機関」出動ス・知られざる対支諜報工作の内幕』に一連の経緯が活写されている。
それによると杉工作とは「日本の陸軍登戸研究所の篠田大佐の下で、第三科長の山本主計少佐が中心となって、内閣印刷局凸版印刷株式会社、それに巴川製作所の協力を得て、極秘に偽造した中国の法幣を中国内で大量にバラ撒くことによって、中国に大インフレを起させて経済を壊滅させ、戦争が出来ないようにして、想起に和平に持ち込むこと」だった。
散布工作を担ったのが阪田機関であり、阪田は「その紙幣でアメリカを中心とする海外からの援蒋物資を買い占めることによって、一つには、偽造法幣を大量にばら撒く、二つには、偽造法幣で日本が不足しているガソリン等を買い付ける、つまりただで戦争をする、という一石二鳥を狙った」ものだったらしい。

結局、中国は日本の通貨攻撃に対抗するために、銀本位制を放棄し、銀を米国に流出し続けて、最後は何も残らずに終ってしまったことになります。1939年の法幣安定借款や1941年の平衡基金協定の詳細な内容がよくわからないので、中国政府にどの程度の借金が残ったのか(残らなかったのか)が不明確なのですが、1930年前後に金本位制に移行するために欧米金融機関から借金をした日本の状況となんとなくオーバーラップしてしまいました。

*1:香港上海銀行ユダヤ系イギリス人アーサー・サッスーン卿(ロスチャイルド一族のメンバー)が1865年に香港で設立した銀行で今のHSBC

*2:麦加利銀行:Economist誌の創刊者であるJames Wilsonによって1853年にThe Chartered Bank of India, Australia and Chinaとして創設され、1969年にThe Standard Bank of British South Africaと合併し、今日のStandard Charteredとなる。